文化・芸術

2007/06/28

文章と罫線の関係

紙のメモ帳には大きく分けて3つのタイプがある。無地、横の罫線、縦横に罫線があるグリッド。それぞれに特徴があり、好み以上の甲乙は付けがたい。なので、同じメーカーから同じ外見で3種類のタイプのメモ帳が出ていたりする。

基本的に僕は無地の人である。絵を描くのに慣れているからかデザイナーという職業柄なのか、メモには必ずと言っていいほど図が入るので、罫線が邪魔になるからだ。直線だけで構成される図などにはグリッドがあると便利なのだろうけれど、そういう図とは限らないので、結局無地を選んでしまうのだ。

パソコンでメモを取ったりちょっとした文章を書いたりするときにはエディタを使う。基本的にエディタの画面は無地であるのだけれど、罫線を表示させることのできる物もある。紙のメモ帳では無地な人だけど、考えてみればエディタでは文字しか書かないのだから罫線があってもいいはずである。いや、罫線があった方がいいかも知れない。ということで、最近メインで使い始めたiText Expressというエディタで、試しに罫線を表示させてみたところ、これがなかなかよろしい。

罫線が最も効果を発揮するのは長文である。文章を書くときには何度も読み返しながら書くのだけれども、罫線があると読みやすいのである。読みやすいということは、書くことを邪魔しないということで、それは書きやすいということにつながるのだ。自分で書いた文章が整然と並んでいる光景は清々しくさえある。

問題と言えば、自由度が下がったために文章がやや固くなることだろうか。まぁ、それは慣れの部分も大きいだろうから、しばらく使ってからまた考えてみようと思う。

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2007/06/12

楽な方だけ選ぶのが子供。ちゃんと選ぶのが大人。

リンク: Who is to blame? (内田樹の研究室).

誰もそのミスを看過したことの責任を問われないようなミス。

グレーゾーンにはそのようなミスが構造的に誕生する。

「それは私の仕事じゃない」

これがわずかなミスを巨大なシステム・クラッシュに育て上げる「マジックワード」である。

たしかに「予防」は仕事をふやす。

場合によっては「自分のミスではないミスの責任者」というかたちでネガティヴな評価を受けることもある。

けれども、それがいちばん効率の良いシステム防禦策である。

「いいよ、これはオレがやっとくよ」という言葉で未来のカタストロフは未然に防ぐことができる。

けれどもカタストロフは「未然に防がれて」しまったので、誰も「オレ」の功績を知らない(本人も知らない)。

そういうものである。

最近の日本は明らかにおかしい。カード破産する馬鹿みたいに、計画性もなく、面倒な事を先送りにしているうちに取り返しがつかなくなって崩壊している。「大人」というものがいないというキーワードでしばらく考えていたのだけど、内田樹氏のブログで面白い考察があったので引用した。

例えば大人というのは、義務と権利のバランスをとれる人であったりする。義務だけ考えて過労するのも権利だけ訴える馬鹿も大人ではない。それはつまり、やるべき事を判断し、それをやるべきだと決断したらきちんと実行するということでもある。利害とか損得だとかを重要視せず、ここはやっておくべきだと決断して実行できるのが大人だと思う。

大人が日本にいないか、というと、そんなことはないだろうと思う。ただ、日本の大人は奥ゆかしいので偉い人になってくれない。子どもがわめいたら大人は黙って譲ってあげてしまう。そして、大人が適切に評価を得る事が少ない。それによって大人予備軍は戦意を喪失してしまう。そうして日本は子どもだらけになってしまった。

いかん、考えに救いがない。救いのない考えは害であると思う。大人のする事ではない。つまり、僕もまだ大人ではないという事だ。大人になりたい。

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